忘れかけている日本人魂を中国出身の若手飲食経営者に見た(廣田 翔氏)後編
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2006年11月、廣田商事を設立して実績を重ねながらも、仲間感覚の共同経営に限界を感じていた廣田氏は、友人の店から離れて独自の路線で新たに店を構えることになる。狙いは、高級な食材をリーズナブルな価格で気軽に食べていただくこと。提供する食材は「フカヒレ」である。
2007年5月、信用保証協会の制度を利用して地元の信用金庫から融資を受け、同じく横浜中華街の現在の本館となる「廣翔記」をオープンした。狙いはズバリ成功のはず…だったが、目標の売り上げをなかなか達成できずにいた。しかし、ここでテレビの取材を受けることになった。これをキッカケに、業績は好転。たちまち中華街でも屈指の行列店となった。
事業意欲の強い廣田氏は遠方のお客様にも自店の味を味わってもらおうと、同年11月にはインターネット販売を始めた。が、しかし、これもストレートにはいかない。当時は簡単に始められるモノと考えていたネット販売だったが、ビジネスでやる以上は本腰を入れてやらなければ駄目だと悟った。そして、専属のSE(システムエンジニア)を雇用し環境を整えた結果、業績が上がってきた。
その後、常に満席で、大勢のお客さんを店先で帰してしまう日々が続いた。それを見て何とかできないかと考えた廣田氏は、近くに2店舗目を出すことにした。そして、2008年4月、本店のすぐそばに「廣翔記四川館」をオープンさせた。こちらは、四川料理をメインにすることにより、周辺の競合店や本店とは差別化を図った。
「昔の横浜中華街は高級料理を食べに来るところだったが、今はだんだんとテーマパーク化している」と廣田氏は言う。つまり、中華街への来場者は増えているのだか、客単価は下がっているというのだ。そう実感した廣田氏は、2009年9月には3店舗目となる「廣翔記新館」をオープンさせた。高級食材をリーズナブルな価格で提供し、尚且つ本格的な雰囲気も味わってもらえる空間を作れば当たるのでは?という狙いを具現化したのだ。
人材の確保と活用にも余念が無い。中国大陸から本科的な料理人をスカウトしている。209年11月には、以前からやりたかった日本のラーメンにもチャレンジした。それが「刀削麺王翔記」だ。博多豚骨スープをベースに中華職人がその場で作る刃削麺を合わせたラーメン店だ。
日々の経営に取り組む中で、日本の大学院で学んでいた頃、ノートにまとめるのがやっとだった事柄が、今では立体的に分かるようになったと廣田氏は言う。
これまでのところ横浜中華街の中で飛躍を遂げ、一気に坂道を登って来たが、今後は横浜市内から東京方面へと展開を図って行きたいと展望を語ってくれた。きっとこれからも輝く白い雲をめがけ坂を駆け登って行くことと私は思う。
私がこのブログで紹介した若手料理人の方々は、皆パワフルで活力に富んでいた。未来を自分で創り出している、意欲に富んだ人たちであるが、残念ながら今のこの国ではそのような人材が減っているような気がしてならない。
元気のある若手飲食人を紹介しながら、少しでも日本と日本人を元気付けられればと思いこのブログも書いているのだが、相も変わらず「世の中のせい、他人のせい、不況のせい」にする癖が抜けない人たちが実に多いことは嘆かわしい。
最後に、これも「坂の上の雲」の番組内で福沢諭吉の言葉として紹介されている「一身独立して、一国独立」という言葉があるが、私には印象的であった。
この作品の重要なモチーフとなっている、衰え弱った基盤しか持たない近代国家としての日本を支えるために、青年たちが自己と国家を同一視して、自らが国家の一分野を担う気概を持って各々の学問や専門的事象に取り組む明治期特有の人間像を上手く著わした言葉である。このような不況の時代であるがゆえに、今こそ当時の人々のように、また今回ご紹介した廣田氏のように、今年は、いやこれからは「一身成長して、一国成長」と行きたいものである。
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2010年2月3日|Posted by 力彩 宮島










