決断のとき・叙々苑社長 新井泰道 編

借金が100億円にも膨らんだのは、バブル期の巨額な投資の影響だ。80年代の終わり、土地高騰の頂点で買った東京・西麻布の54坪の土地に、総工費36億円、7階建ての自社ビルを建て、91年に「游玄亭(ゆうげんてい)西麻布本館」としてオープン。すでに10店舗以上出店していた「叙々苑」より、商品、内装、サービスともに高級化した「游玄亭」は、これまでの焼き肉店にはない座敷の個室も売り物だった。

「その直後に、440坪の土地に14億円かけて工場を作ったんです。豪華店舗と工場ができて、さあ、事業拡大するぞ!と意気込んだときにバブル崩壊だ。ウチは出店したいのに、銀行は金を貸してくれない。景気がいいときは借りてくれと頼んだくせに。だから喧嘩したんですよ」。

「でもね」と新井は続ける。「冷静に考えれば、銀行さんが貸さなかったのも無理ないよ。当時は年商60億円で借金100億円。不景気の割に業績は悪くなかったが、当初の予定よりは売り上げは伸びなかった。その上もっと借りたいと言ったんだからね。年商の倍以上の借金をするなんて、健全経営にはほど遠いでしょう。私は料理人出身だから計算しなかったの。経営も知らなかったし。だから借金も全然怖くなかったんだね」。

当時、新井は51歳。15歳から焼き肉一筋に生きてきた。「だから絶対の自信があったんですよ。美味しい焼き肉を提供すれば、お客さんが来ないはずはない。お客さんが来てくれれば店は繁盛する。繁盛すれば借金も返せる。単純明快なのよ。だって、六本木本店には行列が出来ていたし、他の店舗も好調でしょ。展開しても絶対に成功すると思った」。

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