決断のとき・リンガーハット会長兼社長 米濵 和英 編
野菜国産化で成功
再登板直後の大胆戦略の裏側
米濵は1962年、2人の兄とともにリンガーハットを長崎市で創業した。76年、32歳のとき、創業者である長兄の急逝に伴い社長に就任。以来、約30年間、経営の舵を取り続け、リンガーハットを全国区の長崎ちゃんぽん専門店チェーンへと育て上げた。
2005年には日本マクドナルド出身の新社長を外部から迎え入れ会長に退いたものの、08年9月に、再びトップに就任する。
「自分で定年制度を決めたので、社長に戻ろうなんて全く考えていなかった。でも、08年8月中間期に純損益が赤字に転落した段階で、この会社をきちんと後につないでいかなきゃいかんと強く思うようになったんです。誰に嫌われようが、周囲から何を言われようが、もう一度、自分でやらなければ悔いが残ると思ったんですよ」。
米濵は再登板するやいなや、事業の建て直しに向けて、さまざまな手を打った。
当時、リンガーハットが赤字体質に陥っていた原因は大きく分けて二つあった。一つは、原材料費高騰などによるコストアップ。もう一つが、06年のノロウイルス流行による影響や、同じく06年に実施した値上げをきっかけにした集客力の低下だった。
このため、米濵は、不採算店50店舗の閉鎖や自社工場での内製化推進といった経費削減策に着手するとともに、どうすれば失われた客足を再び店に呼び戻せるかについて考え続けた。
割引クーポンの大量発行は既に、前任者のときから実施されていた。しかし、クーポンでの集客は一時的に顧客を増やすものの、結局は採算を悪化させた。社員も労力に対して利益が少なく、気力・体力ともに疲弊していた。
「何かもっと前向きなことをしなければ。お客様に喜ばれ、社員が明るくイキイキと働くことができ、そして会社全体がぱあっと活力を取り戻す何かよい方法はないだろうか」─。
そんなとき、米濵の頭に浮かんだのが、ちゃんぽんに使う野菜の国産化だった。
社長再就任後、1カ月も経たない08年9月下旬、福岡のトレーニングセンター。執行役員以上20人が一堂に会する定例の合宿の席上で、米濵は、野菜の国産化を提案した。役員の反応は一様に鈍かった。
当時、生産管理を担当していた執行役員の山﨑繁樹は、「真っ先に『コストはどう吸収するのか』『価格に転嫁すれば、さらに客足が遠のくことにならないか』ということが頭に浮かび、米濵にも聞きました」と話す。
それでも米濵の考えは揺るがなかった。というのも、米濵は社長を退き、一時日本フードサービス協会の会長を務めていた。そのとき、多くの地方の農家から国産野菜を紹介される機会に恵まれ、国産野菜のおいしさに改めて驚かされた。そして、何とか利用できないかと思い続けていたからだ。
「何より、兄貴たちと始めたこの商売がどうしてここまで大きくなったのかと考えたら簡単な話。当初は、国産野菜のみで新鮮な野菜を使い、とにかく“おいしい”ちゃんぽんをお客様に提供してきた」。だったら、もう1回原点に返ってやればいい。もちろんコストや供給面など、不安要素を数えたらキリがない。「でもね、ごちゃごちゃ言っていないで、とにかくやってみようや、と。こんなときのためのワンマンなんだから、聞く耳は持ちませんでした(笑)」。
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